25年
25年前の明け方、住んでいた場所の震度は4だった。
5回建ての古い住宅はよく揺れた。
当時8歳だったが、その後しばらく震度4は相当大きい地震という印象を持ち続けていた。
父はそのままテレビを夜が明けるまで見続けていた。
新聞やテレビで見た燃えている神戸の街の記憶は鮮明に残る。
学校に登校してもその話題で持ちきりだった。揺れに気づかず寝てた自慢をする男子が多かったのを覚えている。呑気なものだった。
母は震災の前日に神戸にいた。
祖父は鳴門大橋を運転中で、車はスリップしたが怪我は無かった。
少し間違えば大切な家族を失っていたかもしれない。
過去の震災からは防災意識はもちろん、ある日突然為す術も無く大事な人を失う可能性があるということに気付かされた。
周りの人々との今この時間を大切に、伝えたい気持ちは早めに伝えるようにしたい。